| 11/29 | |
咲いてます!妙蓮寺さんの御会式桜 |
上京区寺之内通にある本門法華宗の大本山、妙蓮寺さんの境内には季節はずれの桜が咲いています。
毎年10月13日頃から咲き始め、年を越えて4月8日のお釈迦様の誕生日に満開になるめずらしい桜です。御会式桜と呼ばれています。
10月13日」は法華宗の宗祖日蓮上人が入滅された日で、御会式とはこの日に行われる法要のことです。
(何と不思議な桜でしょう、、、、、、、?)
この桜は散った花びらを持ち帰ると恋が成就すると言われています。
でも、決して枝を手折ってはいけません。手折った恋は実らないそうです。
妙蓮寺さんは椿も有名ですが、山号が変わっています。
卯木山というのですが、これはこの寺に帰依し寺地を寄進した造酒屋の屋号が「柳屋」だったことに由来しているからで、「柳」の字を二つに分けると卯木になるからです。
(4月には満開になった御会式桜に会いに行きたいな!!)

毎年10月13日頃から咲き始め、年を越えて4月8日のお釈迦様の誕生日に満開になるめずらしい桜です。御会式桜と呼ばれています。
10月13日」は法華宗の宗祖日蓮上人が入滅された日で、御会式とはこの日に行われる法要のことです。
(何と不思議な桜でしょう、、、、、、、?)
この桜は散った花びらを持ち帰ると恋が成就すると言われています。
でも、決して枝を手折ってはいけません。手折った恋は実らないそうです。
妙蓮寺さんは椿も有名ですが、山号が変わっています。
卯木山というのですが、これはこの寺に帰依し寺地を寄進した造酒屋の屋号が「柳屋」だったことに由来しているからで、「柳」の字を二つに分けると卯木になるからです。
(4月には満開になった御会式桜に会いに行きたいな!!)

| 11/28 | |
山科の毘沙門堂 もみじが見ごろです |
天台宗五箇室門跡寺院の一つ、山科の毘沙門堂へテクテクです。
JR山科駅から歩いて10分程のところにあります。
山門に上がる手前の斜面には楓の大木が紅葉のまっさかり!
洛中とは違い人も少なく、ゆっくりと景色を楽しめます。
梯子のような急な階段を上り山門をくぐります。
境内には楓もありますがドウダンツツジが燃えるように赤く色づき、その中に立つと炎に包まれたような気分になります。
「門跡寺院」なので建物の中に宸殿があり、そこの襖絵は「逆遠近法」と言う手法で描かれていて、人の動きにつれて絵の向きや大きさが変わる「動く襖絵」です。
又、杉の板戸に描かれた「鯉」の絵は丸山応挙の作でやはり見る人の方向に常に頭が向く動く絵です。
(他に誰もいなかったので、何度も行ったり来たり、?分も眺めてしまいました。不思議、不思議!!)
紅葉と動く絵を思いっきり楽しんだ後(もちろん、お参りはちゃんとしてからです)金運が授かるという「ミニ虎の起き上がりこぼし」を頂いて(買ったんですが、、、、、)帰りました。



JR山科駅から歩いて10分程のところにあります。
山門に上がる手前の斜面には楓の大木が紅葉のまっさかり!
洛中とは違い人も少なく、ゆっくりと景色を楽しめます。
梯子のような急な階段を上り山門をくぐります。
境内には楓もありますがドウダンツツジが燃えるように赤く色づき、その中に立つと炎に包まれたような気分になります。
「門跡寺院」なので建物の中に宸殿があり、そこの襖絵は「逆遠近法」と言う手法で描かれていて、人の動きにつれて絵の向きや大きさが変わる「動く襖絵」です。
又、杉の板戸に描かれた「鯉」の絵は丸山応挙の作でやはり見る人の方向に常に頭が向く動く絵です。
(他に誰もいなかったので、何度も行ったり来たり、?分も眺めてしまいました。不思議、不思議!!)
紅葉と動く絵を思いっきり楽しんだ後(もちろん、お参りはちゃんとしてからです)金運が授かるという「ミニ虎の起き上がりこぼし」を頂いて(買ったんですが、、、、、)帰りました。



| 11/15 | |
大きな贈り物 |
| 11/07 | |
行って来ました!狩野永徳展 |
10月16日(金)〜11月18日(水)京都国立博物館では特別展として「狩野永徳展」が開催されています。
連日ものすごい人気で大盛況だとか。
美葉も頑張って早起きして朝一番に行って来ました。
9時30分開館ですが、9時前には200人程の人がもう列を作っていました。
狩野永徳といえば名門狩野家に生まれ、幼い頃から誰もが認める程の才能を発揮した人物で、戦国時代の京都で織田信長や豊臣秀吉の注文に次々と応え大作を残したことで有名ですが、今回の永徳展のポスターにも「信長さま 秀吉さまご推奨!!天下を取った絵師、 京都に見参」な〜んて書いてあります。
信長の依頼で安土桃山城におもむく折には、弟に家督を譲って決死の覚悟で参上したそうです。
彼が生きたのは戦国時代、描いても描いても戦火に焼かれ彼の作品は殆ど残っていません。
(安土城しかり、聚楽第しかりです!!)
永徳は49歳の若さでこの世を去りました。
(一説によると過労死かも?ということです)
まさに戦国時代を駆け抜けた絵師です。
そして彼の後身には狩野山楽や探幽等次の江戸時代に大活躍した人達が
続きました。
今回の特別展では永徳が残した殆どの作品が見れます。
水墨画を除くと「これでもか!」というくらい多くの絵の具や金泥がまるで油絵のように使ってあります。
(信長さんも秀吉さんもお金にいとめはつけはれへんかったんやね〜)
どれもこれも迫力のある作品で見ごたえがありますが、何と言っても
必見は本物の上杉本洛中洛外図屏風でした。
信長が上杉謙信に贈ったという屏風ですが、室町時代の京都の四季折々の様子や庶民の生活が生き生きと描かれいます。
この絵を見ていると今も何百年も前の行事が受け継がれ京の町に根付いているのがわかります。
お寺や神社も今も昔も変わりなく同じ場所にあります。
永徳さんようこんなに細かくかかはったわ!!)
細かく観察していると楽しくて時間を忘れてしまいそうです。
保存状態が良いのか、本やテレビで見るよりも色鮮やかでした。


京都国立博物館 何時見ても立派です
(お城みたい!)
連日ものすごい人気で大盛況だとか。
美葉も頑張って早起きして朝一番に行って来ました。
9時30分開館ですが、9時前には200人程の人がもう列を作っていました。
狩野永徳といえば名門狩野家に生まれ、幼い頃から誰もが認める程の才能を発揮した人物で、戦国時代の京都で織田信長や豊臣秀吉の注文に次々と応え大作を残したことで有名ですが、今回の永徳展のポスターにも「信長さま 秀吉さまご推奨!!天下を取った絵師、 京都に見参」な〜んて書いてあります。
信長の依頼で安土桃山城におもむく折には、弟に家督を譲って決死の覚悟で参上したそうです。
彼が生きたのは戦国時代、描いても描いても戦火に焼かれ彼の作品は殆ど残っていません。
(安土城しかり、聚楽第しかりです!!)
永徳は49歳の若さでこの世を去りました。
(一説によると過労死かも?ということです)
まさに戦国時代を駆け抜けた絵師です。
そして彼の後身には狩野山楽や探幽等次の江戸時代に大活躍した人達が
続きました。
今回の特別展では永徳が残した殆どの作品が見れます。
水墨画を除くと「これでもか!」というくらい多くの絵の具や金泥がまるで油絵のように使ってあります。
(信長さんも秀吉さんもお金にいとめはつけはれへんかったんやね〜)
どれもこれも迫力のある作品で見ごたえがありますが、何と言っても
必見は本物の上杉本洛中洛外図屏風でした。
信長が上杉謙信に贈ったという屏風ですが、室町時代の京都の四季折々の様子や庶民の生活が生き生きと描かれいます。
この絵を見ていると今も何百年も前の行事が受け継がれ京の町に根付いているのがわかります。
お寺や神社も今も昔も変わりなく同じ場所にあります。
永徳さんようこんなに細かくかかはったわ!!)
細かく観察していると楽しくて時間を忘れてしまいそうです。
保存状態が良いのか、本やテレビで見るよりも色鮮やかでした。


京都国立博物館 何時見ても立派です
(お城みたい!)
| 11/04 | |
炉に炭が入りました |
茶室「楽寿」では11月1日に炉開きをし、炉に炭が入りました。
10月までのお茶会と違いお客様のそば近くに炉を切って炭を入れ、釜をかけて湯を沸かします。
水指しも中心に移動して来ますし、柄杓も柄の先(切り止め)が皮目の方に斜めに切れている物を使い、蓋置きも竹の場合、中節と言って真ん中に節のあるものを用意します。
《目立たないところが風炉の時と微妙に違うわ〜!》
今年の夏は殊の外暑い日が長く続き、秋はいったい何時来るのかと思っていましたが、季節の神さんは間違いなく秋を運んで来てくれました。
《昨日今日は寒いくらいです》
後半月もすると京都のもみじ達も綺麗に色づき、洛中洛外お客様で溢れかえります。
《待ち遠しい、、、、、!!》

10月までのお茶会と違いお客様のそば近くに炉を切って炭を入れ、釜をかけて湯を沸かします。
水指しも中心に移動して来ますし、柄杓も柄の先(切り止め)が皮目の方に斜めに切れている物を使い、蓋置きも竹の場合、中節と言って真ん中に節のあるものを用意します。
《目立たないところが風炉の時と微妙に違うわ〜!》
今年の夏は殊の外暑い日が長く続き、秋はいったい何時来るのかと思っていましたが、季節の神さんは間違いなく秋を運んで来てくれました。
《昨日今日は寒いくらいです》
後半月もすると京都のもみじ達も綺麗に色づき、洛中洛外お客様で溢れかえります。
《待ち遠しい、、、、、!!》

| 11/01 | |
上賀茂の社家 |
上賀茂神社」の一の鳥居を出て東に進むと、清らかな明神川に沿って社家の家並みが続いています。
明神川は上賀茂神社の境内では御物忌川と御手洗川が合流してならの小川と呼ばれています。
社家というのは上賀茂神社の神官達の住まいのことで、明神川にかかる苔むした土橋や土塀、妻飾りの少ない棟の低い母屋、土塀越しにのぞく木々等がこの辺り一帯に独特の雰囲気をかもし出しています。
又、屋敷内の庭の池には明神川の水を取り入れ、池の中を流れて清いまま元の川へ流し返されています。
これはこの地域の暗黙のルールだそうです。
《雨で水が濁っている間は取水口を塞いでおくとのこと》
昔、庭の池では曲水の宴が行われ、邸内の井戸では神官達が神事の前に身を清め上賀茂神社に出仕していました。
賀茂の神様と共に日々を送っていた神官達の清々しい暮らしぶりがしのばれます。
この辺りは上賀茂伝統的建物群保存地区にしていされています。
(貴重な風景、いつまでも大切にしてもらいたいです!!)


京都市指定文化財 西村家庭園
明神川は上賀茂神社の境内では御物忌川と御手洗川が合流してならの小川と呼ばれています。
社家というのは上賀茂神社の神官達の住まいのことで、明神川にかかる苔むした土橋や土塀、妻飾りの少ない棟の低い母屋、土塀越しにのぞく木々等がこの辺り一帯に独特の雰囲気をかもし出しています。
又、屋敷内の庭の池には明神川の水を取り入れ、池の中を流れて清いまま元の川へ流し返されています。
これはこの地域の暗黙のルールだそうです。
《雨で水が濁っている間は取水口を塞いでおくとのこと》
昔、庭の池では曲水の宴が行われ、邸内の井戸では神官達が神事の前に身を清め上賀茂神社に出仕していました。
賀茂の神様と共に日々を送っていた神官達の清々しい暮らしぶりがしのばれます。
この辺りは上賀茂伝統的建物群保存地区にしていされています。
(貴重な風景、いつまでも大切にしてもらいたいです!!)


京都市指定文化財 西村家庭園







