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秀吉の夢の跡  名護屋城跡
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                  名護屋城天守跡
今からおよそ400年前、国内を統一した豊臣秀吉がさらに朝鮮半島や明国へ向けて出兵《文禄 慶長の役1592〜1598》する為にその軍事拠点として九州の佐賀県唐津市の岬に加藤清正等に設計させ各大名への分担(割り普請)で築いたもので、五層七重の天守閣や櫓、書院、数奇屋、櫓門等がそびえ、その雄大な美観は大坂城と並び賞されたといいます。
朝鮮への出兵の拠点ですが、本州から海を渡ってやってくる諸大名に秀吉の力を見せ付ける為、本州に向かって横長に造られていたそうです。
又、この城を中心として半径3キロメートルの範囲に徳川家康、伊達政宗、加藤清正、前田利家、古田織部、片桐勝元等をはじめとして約130箇所の大名陣跡も確認され、特別史跡に指定されています。

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岬の山上にある天守跡からは遠く隠岐、対馬の島々が望め、ここから朝鮮半島へ出兵して行ったのです。
京都国立博物館のすぐ傍にある耳塚はここから出兵して行った武士達が、敵の首の代わりに持ち帰ってきた朝鮮の兵士の耳や鼻を供養する為にそれらを納めた塚と伝わっています。
京都にいる時には歴史上の遠い昔の事として、漠然と捉えていただけですが、この城跡に立ち海のかなたを眺めると、事実として、天下人になった秀吉の強大な力を実感すると同時に「ムチャクチャな事をしたんやな〜!!」と思わずにはいられません。

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そこここに石垣が残り「つわもの供の夢の跡?と云うよりは、秀吉の野望の跡かも」の景色が広がっています。
ちなみに[黄金の茶室」もこの城内に持ってきていた記録も残っています。
観光案内所で申し込めば、ガイドさんに案内してもらえます。
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